第10課 青年用:仲泊 大輔

2018年4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第10課           一致と破綻した関係            仲泊 大輔

● 今週のポイント
① 「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいた」(ローマ5:10)ように、私たちの人間関係においても、和解することが大切です。和解するということは、ただキリストの赦しを説くことではなく、私たちが実際に人を赦す生き方をするということです。罪人である私へのキリストの赦しを思い出す時、他人を赦せない心は、和解へと導かれます。自分が問題を抱えており、その問題に目を向けている時、問題そのものではなく、キリストの十字架に目を向けるようにしましょう。

② パウロについての記述は、キリストの和解の実践です。宣教活動から逃げ出したマルコについて、「最晩年、パウロはテモテに、ヨハネ・マルコを連れてローマへくるようにと切に求めています。」(ガイドp68)とあります。聖書は、パウロがマルコに厳しい態度を取っていたことについて多くを語りません。きっとそれよりも大事なことは、晩年、二人は和解していたということでしょう。キリストも私たちが過去にどれほどの罪を犯していたとしても、それを告白し、悔い改めて赦しを求めるなら、それを完全に赦し、最終的には、それを忘れてくださいます。私たちも口論になると、相手の以前の過ちを指摘してしまうことがあります。もし、その過ちがキリストにあって赦していただいており、現在は改善されているのであれば、それについては二度と責めないように努めましょう。

③ マタイによる福音書18章には「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(18:20)という有名な聖句があります。この聖句は、兄弟を赦すというテーマの中で語られています。私たちが特に赦しについて祈る時、人間関係の溝の中にキリストが入ってくださり、十字架の和解の力が現れるということではないでしょうか。私たちは人間関係の問題を先延ばしにする傾向があります。その相手との関わりを最小限にすることで、表面的な解決の道を見いだすこともできるでしょう。しかし、キリストによる和解の力に癒すことのできない問題はありません。その人のことが赦せないのでしたらそれを神様に伝えることから祈り始めてみましょう。祈りは最後の手段ではなく、すべてのスタートです。罪人である私たちがキリストと和解できたように、こじれた人間関係が和解に至る時、この地上でも天でもキリストにある喜びが溢れ、十字架の力の大きな証となるのではないでしょうか。

● ディスカッションのためのテーマ
① 人間関係をイエス様に修復していただいた経験を分かち合いましょう。
② 今、和解を必要としている相手がいるでしょうか。一緒に祈ってもらいましょう。