第10課 安河内アキラ

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第10課            一致と破綻した関係            12月8日

暗唱聖句
「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです」ローマ5:10
                                           
今週の聖句   Ⅱテモテ4:11、フィレモン1~25、Ⅱコリント10:12~15、ローマ5:8~11、エフェソ4:26、マタイ18:15~17
                                           
今週の研究
 私たちは今週の研究において、修復された関係と私たちの人間関係が、いかにキリストにおける一致に影響を及ぼすかに目を向けます。聖霊の働きには、人を神に近づけることと、人と人を近づけることが含まれています。また、私たちと神との間の隔ての壁、人間同士の関係の隔ての壁を壊すことも含まれます。要するに、福音の力の最大の証明は、必ずしも教会が言うことではなく、教会がいかに生きるかなのです。

火曜日:神は私たちを競争のためではなく、協力のために召しておられます。それぞれの信者はキリストの体のために働き、共同体に仕えるうえで協力するために、神から賜物を与えられています(Ⅰコリ12:11)。より優れた賜物も、より劣った賜物もありません。すべてがキリストの教会において必要なのです(同12:18~23)。神から与えられた私たちの賜物は、身勝手に見せびらかすものではなく、福音を広める奉仕のために、聖霊によって与えられているのです。
 他人との比較は、いかなるものであれ、賢明ではありません。なぜなら、それは私たちを落胆させるか、思い上がらせるからです。もし私たちが、ほかの人は自分よりはるかに「優れている」と思うなら、自 分と彼らを比較して意気消沈し、どんな働きに携わっていようと簡単に弱気になってしまうでしょう。一方、もし私たちが、キリストのための自分の働きがほかの人の働きよりも効果的だと思うなら、私たちはうぬぼれるでしょう。しかしそれは、クリスチャンが最も心に抱くべきでない感情です。

水曜日:赦しは、私たちの霊的健全性にとっても重要です。私たちを不当に扱った者を赦さないと、たとえ彼らが赦しを受けるに値しないとしても、それによって彼ら以上にあなたが傷つきます。もしだれかがあなたを不当に扱い、あなたが赦さないために、その痛みが心の中で悪化するなら、あなたはその痛みによって自分を一層傷つけさせているのです。どれほどしばしば、そのような感情や傷が、教会内の分裂や緊張の原因であることでしょう。教会員の間の未解決の傷が、キリストの体の一致を傷つけるのです。
 赦しは、私たちの裁きからほかの人を解放することです。なぜなら、キリストが御自分の裁きから私たちを解放してくださったからです。赦しは、私たちに 対するほかの人の行為を正当化することではありません。私たちは、不当に扱った人と和解することができます。なぜなら、私たちがキリストを不当に扱ったときに、キリストが私たちを御自身と和解させてくださったからです。私たちが赦せるのは、私たちが赦されているからです。赦しは選択です。ほかの人の行動や態度にかかわらず、赦すことを選択できます。これが、真のイエスの精神なのです。

木曜日:時として、対立を解消しようとする個人の訴えは、功を奏しません。そのような場合、一人か二人を一緒に連れて行くよう、イエスは私たちに勧めておられます。和解の過程のこの第二段階は、第一段階のあとでなければなりません。人を一緒に連れて行く目的は、両者の間の溝を一層深くすることではありません。不愉快な目に遭わされた人に加わる人は、言い分を証明したり、相手の人を非難したりするために行くのではないのです。彼らは、キリスト教的愛と同情から、疎遠になった二人を一緒にする過程に参加するため、助言者や祈りの仲間として行くのです。
 問題を解決するためのあらゆる企てがうまく行かない場合もあります。このような場合、イエスは問題を教会に申し出なさい、と教えておられます。彼はもちろん、個人的対立の問題で安息日の朝の礼拝を中断することについて語っているのではありません。最初の二つの段階が両者を和解させるのに役立たないのであれば、問題を申し出るのに適当な場所は、教会理事会です。ここでもまた、キリストの目的は和解です。一方を非難したり、他方の潔白を証明したりすることではありません。
                                           

 今週の学びは一致と破綻について学びます。日曜日ではパウロとマルコの関係が書かれています。伝道旅行の厳しさから、伝道チームから脱落してしまったマルコを、次回同行させることをパウロはゆるしませんでした。けれどもバルナバは彼を育てるためにも再度機会を与えることを望みました。どちらの主張も理解できますね。その後マルコは成長して有用な働きをするようになり、パウロも彼を重用しています。きっと後年にルカが記録をまとめる時には、こんなことがあったと笑いながら話せるような信頼関係になっていたからこそ使徒言行録に残せたのではないでしょうか。
 また月曜日はフィレモンの逃亡奴隷だったオネシモのためのパウロのとりなしが書かれています。なぜオネシモが逃亡したのか、またその後がどうなった聖書には書かれていませんが、ゆるすことによって活かされる人材があることをパウロは語っており、それが聖書に記録されています。
人間関係が破綻する、それは近い関係にあるからです。期待をしていたり、とても大切な人だから、そこで何かが起こった時に人間関係が破綻するのです。どうでもよい人だったら何も起きないでしょう。
 火曜日の引用文にありますが、わたしたちは協力するために召されました。同じ目的にために集められたのです。場合よっては赦しも必要ですし、直接語ることも大切なことです。それだけ大切な人だからこそ、お互いの心を開いて話す時に、そしてお互いの働きの目的について考えれば、道は開かれるのではないでしょうか。けれどもそこには痛みや苦しみ、勇気が必要です。なかなかそれができない、人間にはそんな弱さもありますね。