第13課 聴覚しょうがい者用:松枝 重則

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第13課            一致の最終的回復              松枝 重則

(ルビ付きの原稿はPDFからご覧いただけます)

1.今週のキーワード:回復
罪を犯す前、アダムとエバは「キリストにおける一致」がありました。しかし一致は罪によってなくなってしまいました。罪は一致を壊し、分裂をもたらしました。分裂の原因である罪から清められた時、再び一致が与えられるのです。

2.今週のテーマ:再臨
クリスチャンの最大の希望は再臨です。キリストが再臨される時、全てに回復が与えられます。回復の為にクリスチャンは再臨を待ち望んでいます。「アドベンチスト」とは「再臨を待望する者」という意味です。アドベンチストの希望は再臨です。私達は再び神の家族として回復されるのです。

3.キリストの帰還の確かさ
どうすれば心から再臨を信じることができるでしょうか。それは聖書の預言の成就を見ることによってです。聖書にはイエス様が約2000年前に人として生まれると預言されています。現在、イエス様が人としてお生まれになったことは「クリスマス」として全世界に広まっています。
イエス様が人としてお生まれになったという聖書預言の成就を信じるならば、次の預言を信じることもできます。次の預言とは、人としてお生まれになったイエス様がもう一度戻って来られるという預言です。イエス様が再び来られるという再臨の預言です。イエス様が約2000年前に人としてお生まれになったという預言の成就を信じることは、イエス様が再び来て私達を天国に迎えて下さるという預言に確信を与えます。

4.回復の約束
私達はイエス様の再臨で永遠の命を与えられます。しかしそれは私達だけではありません。罪によって汚れた地も新しくして頂かなければなりません。新しい天と新しい地が与えられることがイザヤ書や黙示録の終わりに書かれています。

黙示録21章1節には新しい地球に海がないと書かれています。現在、地球の表面は約70%が海で覆われていると言われています。新しい地球に海がないという事は、人の住める割合がとても広くなるということです。

黙示録21章4節では、涙、死、悲しみ、叫び、痛みも永遠になくなると書かれています。これらの回復の約束は全ての人に必要な回復です。これらの回復の希望によってもキリストにおける一致が与えられます。

5.復活と回復された関係
一致の最終的回復はキリストを信じて死んだ人たちの回復でもあります。

6.贖われた者たちのための新しい地
新しい地とはどのような場所になるのでしょうか。

黙示録21章2節には「神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして」と書かれています。これは神様がずっと望まれていた回復です。罪によって人は神と共に住むことができなくなっていました。新しい地球では天地創造の神様だけが神であるばかりか、その天地創造された宇宙の神様が私達と新しい地で住んで下さるのです。私達の住む場所が神様の住む場所になりますから、私達の住む場所はただ人間の住む地ではなく、宇宙の天国になるのです。神の住まれる場所が天国だからです。私達は宇宙の天国に住むという宇宙で最も幸せな民になるのです。

黙示録22章2節には天国の都にはいのちの木があると書かれています。いのちの木はアダムが罪を犯して以来、近づくことができなかった木です。天国に行ったら私達はいのちの木から取って食べることが許されます。しかも、この「いのちの木」は12種類の実を毎月一種類ずつ実らせると書かれています。一つの木から毎月違う果物が実り、それを食べるのです。今の常識では考えられない事ですが、天国に行くことを更に楽しみにさせてくれるできごとです。

楽しみなのは命の木だけではありません。「いのちの木の葉は諸国民をいやす」と書かれています。ご再臨によって完全な体に一瞬にして変えられる時には、全ての救われた人に必要な回復が与えられます。しかしこの回復は身体の癒しだけではありません。国々の問題、人種差別、言葉による分裂、あらゆる問題による心の傷も癒されるのです。

7.新しい地での生活
新しい地での生活はイザヤ書65章の後半に書かれています。自分の住む家を建てて、ぶどう畑を作って、自給自足の生活のようです。黙示録21章5節で「すべてのものを新たにする」と書かれている通り、新しい体だけでなく、新しい歌が与えられ、新しい名が与えられ、すべてが新しくされます。

ここで疑問がでてきます。私達が神のかたちに完全に回復されたら、友人や家族を見分けることができるだろうか、という疑問です。しかしこのような事を心配する必要はありません。イエス様が復活された後、弟子たちはイエス様を見分けることができました。多くの人達は声で見分けることができました(ヨハネ20章11~16節)マリアはイエス様の声でイエス様だと見分けることができました。トマスはイエス様の身体的特徴を見てイエス様だと分かりました。エマオに向かっていた二人の弟子はイエス様の癖を見てイエス様だと分かりました。同じように、私達が神のかたちに回復されても、必ず見分けることできるのです。

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(Ⅱコリント4章16~18)。

再臨の希望はわたしたちを「キリストにおける一致」へと導いてくれます。そして「キリストにおける一致」が与えられたならば、再臨の時に永遠の命とすべての回復が与えられるのです。