第5課 安河内アキラ

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第5課           初代教会における一致            11月3日

暗唱聖句
 「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」 使徒言行録2:42
                                           
今週の聖句   使徒言行録1:12~14、使徒言行録2:5~13、黙示録14:12、使徒言行録2:42~47、使徒言行録4:32~37、使徒言行録5:1~11、Ⅱコリント9:8~15
                                           
今週の研究
 イエスが昇天されたあとの弟子たちの体験は、非常に異なる背景を持った信者の間に一致と調和を生み出すことにおける、神の言葉、祈り、共通の交わりの力の証拠です。それと同じ体験は、今日でも可能です。
「交わりは集団礼拝において特に重要な要素であると、私は主張したい。……クリスチャンにとって、その人とほかの信者、またその人と主なるイエス・キリストとを結ぶ絆を自覚することに代わるものはない。……イエス・キリストは、まず魂を御自分のところへ連れて来られるが、次に、その魂を御自分の体である教会のほかの信者たちにいつも結びつけられるのである」(ロバート・G・レイバーン『さあ、伏し拝もう』91 ページ、英文)。

日曜日:「弟子たちは約束が成就されるのを待っていたあいだ、謙遜な心でほんとうに悔い改め、また自分たちの不信心を告白した。彼らは、キリストがなくなられる前にお語りになったことばを思い出しながら、それらの意味を一層深く理解した。既に記憶から消えてしまっていた真理が再び心によみがえってきて、彼らはこれを互いにくり返し合った。そして、救い主について誤解していたことを思い、自責の念にかられた。主のすばらしいご生涯の場面が行列のように1つ1つ彼らの前を通り過ぎた。主の純粋できよらかなご生涯を瞑想(めいそう)しながら、もし、キリストの美しいご品性をあかしする生活をすることができさえすれば、どんな仕事でもむずかしすぎることはなく、どんな犠牲でも大きすぎることはないと思った。もし、過去の3年間をもう1度やりなおすことができるとすれば、弟子たちはどんなにか違った行動をとることだろう。もし、主に再び会うことができさえすれば、どんなにか熱心に、自分たちが主を深く愛していたかを示そうと懸命に努めることであろう。また、不信の言葉や行動で主を嘆かせたことに、どんなにか真心からのおわびを申しあげることであろう。しかし、彼らは、自分たちはゆるされていると考えたとき慰められた。そして、主に対する信仰をできるかぎり勇敢に世の人々の前で告白し、自分たちの不信心の償いをしようと決心した。……意見の不一致や優位を望む心をすべて捨て、クリスチャンの交わりの中で互いに親密になった」(『希望への光』1369ページ、『患難から栄光へ』上巻30、31ページ)。

水曜日:ルカは、五旬祭の直後、イエスの弟子たちが体験した交わりの中から自然に生じたことの一つが相互支援であった、と記しています。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(使徒2:44、45)。
 この日用品の分かち合いは、共同体の要求ではなく、彼らが体験する交わりの中での相互愛の中から自発的に派生したものです。それはまた、彼らの一致の具体的なあらわれでした。このような相互支援はしばらく続き、使徒言行録4章と5章に詳細が記されています。それはまた、私たちが次に見るように、新約聖書のほかの箇所に見いだされる一つの主題でした。

木曜日:Ⅱコリント9:8~15を読んでください。初代教会における一致の体験は、今日どのようなことがなされうるのかを私たちに示しています。しかし一致は、すべての教会員の意図的な献身がなければ、生じませんでした。初期の共同体の指導者たちは、キリストにおける一致を育むことを彼らの伝道の働きとみなしていました。夫婦間、親子間の愛情が意図的に日々育まれなければならない献身であるように、信者の間における一致も同様です。私たちがキリストにあって持っている一致は、さまざまな形で促進されますし、目に見えるようになります。
 初代教会におけるこの一致を育んだ明らかな要素は、祈り、礼拝、交わり、共通の目標、そして御言葉の学びでした 。彼らは福音をあらゆる国民に宣べ伝える使命を理解するとともに、互いを愛し、気遣う義務も自覚していました。彼らの一致は、地元の交わりの中でのその気前の良さと相互支援の中にあらわれるとともに、さらに広く見れば、長い距離で隔たっていたにもかかわらず、教会共同体同士の間であらわれました。
                                           

 今週は、初代教会の一致について学びます。初代教会は弟子たちからすれば、突然キリストが十字架にかかり昇天してしまいました。キリストは弟子の訓練を最優先されていましたが、彼らはこの時期にキリストが昇天して自分たちが教会のリーダーとなって行くことを想定していたでしょうか。また急速に教会が成長して行き、いろいろな方々も教会に加わり、そこへ外国人も加わりと混沌とした中で、今までの神殿を中心としたユダヤ教とは別の教会を作っていかなければならずモデルも無いわけです。そこでの一致はとても大変だったことでしょう。
 その中での鍵は、日曜日の学びではないでしょうか。彼らはここで謙遜に悔い改めてとあります。聖霊が降ったから一致できるのではありません。一致をするためには、自らの弱さとまちがいを見つめて、そこからどのようにキリストに近づくことができるのか、お互いが謙遜になることが、一致の第一歩となるのです。聖書は全巻を通して、くりかえしてわたしたちに謙遜になるように教えるのはこのためでもあるのです。
 次に、御言葉の学び、交わり、自分たちの財産を分かち合うなど、自分ではなく誰かが幸せになるためにと、教会の方向性がそのことによって自分たちが快適に過ごすためではなく、他の誰かを助けることへと向いて行くことによって一致がつくられていくのです。