第6課 聴覚しょうがい者用:武田 将弥

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第6課             一致のたとえ              武田 将弥

(ルビ付きの原稿はPDFからご覧ください)

1.『今週のテーマ』
 聖書には沢山のたとえ話や儀式が出てきますが、それらには大事な意味が込められていました。たとえばイエス様は、井戸に水を汲みに来たサマリアの女にむかって「あなたに渇くことのない水をあげます」と言われましたが、それは「飲み水」のことではなくて「神様の恵み」のことを意味していました。また旧約聖書に出てくる多くの儀式にも、すべて大事な意味が込められていました。今週は色々なたとえ話を勉強しながら、神様が求めておられる教会の一致について考えていきます。

2.『神の民(日)』『神の家族(月)』
 もし皆さんが「教会」とは一体何だと思いますか?という質問をされたら、何をイメージされますか?「屋根に十字架が付いた建物」とか「ステンドグラスが綺麗な礼拝堂」を思い浮かべるかもしれません。たしかに建物も教会には違いないかもしれませんが、イエス様が言っておられる本当の意味での教会とは「神様を信じる人たち」のことです。神様から見るとクリスチャンは「教会」であり「神の民」なのです。
 ちなみに天国に入れるほどの聖なる完全な国は、地球のどこを探しても見つかりません。なぜならば「国」とか「家庭」というのは様々な人の集まりからなっておりますが、肝心の「人間」が完璧ではないからです。しかし聖書ではイスラエルが神の聖なる国民として特別に選ばれましたが、それは彼らが合格点に達しているくらい素晴らしかったからでしょうか?聖書をみると『あなたは主の聖なる民である…主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主があなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに…救い出されたのである。(申命記7:6~8)』とあるように、残念ながら優れていたからという理由ではなかったのです。私たちは何の取り柄もない人間ですが、神様は「あなたのことを愛しているから」という理由で選んでくださったのです。だからこれを「神の恵み」といいます。

3.『聖霊の神殿(火)』『キリストの体(水)』
 聖書には「私たちの体は神様の神殿である」という大切な教えがあります。私たちが集まって神様に向かって歩み寄るのならば、クリスチャンたちは一致に向かうことになります。この一致というのはクリスチャンの一人一人が心の内に神様をいただくことによって実現しますが、交わりが上手くいかないと一致は上手くいきません。そして信徒たちの一致というのは神様の強い願いでもあるので、この交わりを大切にしないといけません。
 クリスチャン同士が一致に向かっているのに、もしもその交わりを妨害したりすると、神様のご計画を邪魔することになってしまいます。神様に逆らうと苦しむだけなので注意しなさいと聖書は忠告しています。
 教会(信徒)の一致を邪魔したいとサタンはいつも狙っています。私たちも仲間たちの一致を邪魔して、悪魔と同じことをしないように注意しなくてはいけません。
 教会は私たちクリスチャンが集まって出来ています。それはまるで人間の体がいくつもの細胞や部分が集まって出来上がっているのと同じです。体はそれぞれ違う働きをしますが、きちんと自分の思い通りに動いてくれます。もしも自分の体が勝手に動き始めたら困ってしまいます。それこそ分裂です。一致をダメにしてしまう原因は、お互いにねたんだり争ったりするからです。キリストの体である教会…ようするにクリスチャンの私たちは、仲間を大切に扱わないといけないのです。イエス様の思いと違った行動を勝手に取らないように気をつけましょう。

4.『羊と羊飼い(木)』『さらなる研究(金)』
 皆さんは本物の羊を見たことがありますか?私の生まれ故郷は北海道です。小学校の遠足で牧場に行ったことがあり、そこで働く牧場の人が羊について教えてくれました。
「皆さんこんにちは~ようこそ牧場へ!羊という動物はそんなに頭が良くありません。そして寂しがり屋さんなので、いつも仲間と一緒にいることが好きです。羊は耳が良いので飼い主の声はわかりますが『オーイ、ご飯だぞ~。こっちにおいで~!』と呼ばれても、あまり自信がないのか、周りにいる他の誰かが動かないと、自分からは中々近づいて来てくれません。羊というのはとても臆病で弱い動物なのです。手間はかかるし世話の難しい動物ですが、懐いてくれると後ろからついてくるので、そこが可愛いんですよ~」…と小さい時に説明を受けたことがありました。
 聖書に出てくる「羊と羊飼い」のたとえ話は、イエス様が羊飼いのことで、羊は人間のことを意味しています。たとえ話の説明を勉強すると、人間の私たちと、神様との関係の特徴が、とてもよく似ていることに気が付きます。羊飼いは羊を大切に世話しますし、羊も自分の主人の顔と声を覚えてどこまでも付いていきます。しかし人生は良いことばかりではありません。ショックな出来事が突然に襲いかかってくるように、狼や熊が出ることがあります。そういう時は臆病な羊はパニックになって自分の逃げたい方向へとバラバラに逃げてしまいます。やがて気持ちが落ち着いてハッと気がつくと、自分が迷子になってしまったことに気が付いて心細くなります。ひとりぼっちで身動きができず、ブルブル震えていると、そのうちに聞き慣れた羊飼いの呼ぶ声がして、自分を探しに来てくれたことを知って安心するのです。
 羊は狼や熊と戦う力は持っていないので、羊飼いに守ってもらわないと食べられてしまいます。また羊飼いの近くに逃げれば安全なのに、驚いたらそんなことも忘れて一目散にどこかへと逃げて、すぐ迷子になってしまいます。頭もそんなに良くないし、必死で逃げてきたので帰り道も分からなくなります。羊という動物は、羊飼いがいないとほとんど何も出来ない弱い生き物なのです。人間も同じように、主人であるイエス様に面倒を見ていただかないと、簡単に悪魔にやられてしまうのです。
 羊が出来ることはなんでしょうか?それは飼い主の声をよく聞いて、しっかりと付いて行くことです。何かあっても自分の逃げたい場所に走っていくのではなく、飼い主である神様のところへと避難することなのです。神様のところへ避難するとはどういう意味でしょうか?それは「神様のお言葉に従い、祈る」ということです。
イエス様も天上の父である神様の言葉(お気持ち)にいつも従い、そして祈っておられたのです。だから悪魔は何度も攻撃してきましたが、主は負けることはなかったのです。イエス様は私たちの模範ですから、我々は主の真似をどんどんしていきましょう。