第7課 安河内アキラ

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第7課             対立が起こるとき             11月17日

暗唱聖句
 「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」ガラテヤ3:27、28
                                           
今週の聖句   使徒言行録6:1~6、使徒言行録10:1~23、マタイ5:17~20、使徒言行録11:3~24、使徒言行録15:1~22、アモス9:11、12
                                           
今週の研究
いずれのクリスチャン共同体にとっても、最も難しい課題は、その教会のアイデンティティーや使命に関する問題について意見の相違が生じたときに一致を保つことです。このような相違は、悲惨な結果につながりかねません。
今週は初代教会が、その一致を弱らせ、教会の生き残りを脅かした内部対立をいかに克服したかに目を向けます。その対立とは何だったのでしょうか。どのように解決されたのでしょうか。これらの体験から、現代の私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

月曜日:使徒言行録の中で起こっていることは、異邦人がクリスチャン共同体の交わりの中に受け入れられるために、聖霊がお膳立てをなさったことです。そして彼らは、割礼を受けさせられることも、まずユダヤ人にさせられることもなく、クリスチャン共同体に加わることができました。それが確かに神の御心であるとペトロや彼の友人たちに確信させたのは、イエスの弟子たちが五旬祭の日に経験したのと同じように(使徒10:44~47)、コルネリウスと彼の家族に聖霊が注がれたことでした。もし聖霊がユダヤ人に与えられたのと同じように異邦人にも与えられるのであれば、割礼を受けることがメシアとしてのイエスの信者になることの前提条件でないことは明らかです。 この結論が、初期のクリスチャンの間における大きな神学的対立のきっかけとなったのです。

水曜日:ユダヤ人たちは、異邦人との交際に関して、厳しい伝統がありました。そのような伝統は、イエスの弟子になりたいと望む異邦人への伝道を使徒たちが始めると、新しいクリスチャン共同体にとってすぐにつまずきの石となりました。旧約聖書に予告されていたように、メシアは神の契約の民の救い主なのですから、異邦人は、もし救われたいと思うなら、まずユダヤ人となり、同じ契約の規則に従わねばならなかったのでしょうか。
 使徒言行録15:3~22を読んでください。ここでの問題は、割礼や異邦人との付き合いに関する旧約聖書の物語の解釈上の対立に深く根差していました。使徒、長老、そしてアンティオキアからの代議員たちが着席したとき、その議論は 解決を見ることなく長時間続いたようです。
 しかし、やがてペトロ、バルナバ、パウロが演説をしました。ペトロの演説は、神が彼に与えられた幻による啓示と、聖霊の賜物を暗に示しています。それらが異邦人への宣教の道を開いたのでした。続いてパウロとバルナバは、神が彼らを通して異邦人のためになさったことについての物語を話しました。その結果、多くの人の目が新しい真理に開かれたのです。「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」(使徒15:11)と、ペトロは言いました。何世紀にもわたる長年の伝統は、福音の光の中で崩壊しつつあったのです。

木曜日:使徒と長老たちの間での長時間の議論ののち、イエスの兄弟であり、この会議の指導者であったと思われるヤコブは、なすべきことについて判断を下しました(使徒15:13~20)。異邦人はクリスチャンとなるために、ユダヤ教に改宗したり、割礼を含む礼典律を全面的に守ったりする必要はないと、この会議は明確に決めたのです。
 アモス9:11、12、エレミヤ12:14~16を読んでください。ヤコブはアモス9章から引用していますが、旧約聖書のほかの預言書の中にも、諸国民の救いに関するさりげない言及が見られます。イスラエルのあかしと体験を通して全世界を救うことが、当初からの神の御計画でした。実際、アブラハムに対する神の召命には、彼と彼の子孫によってあらゆる国民が祝福されることが含まれていました(創12:1~3)。聖霊の導き、異邦人の間におけるペトロ、バルナバ、パウロの働き、そして多くの異邦人改宗者が、無視できない証拠でした。そのようなあかしの助けによって、エルサレムのクリスチャン共同体の指導者たちは、旧約聖書の預言が今や成就しつつあると気づきました。実際、神は、イスラエルの中の寄留者に関する律法や、彼らに適用される制限をすでに与えておられました(レビ17章、18章)。ヤコブは、彼の決定の中でそれらの律法にも言及しています(使徒15:29)。神は、異邦人が御自分の民に加わり、イエスによる救いを受けるように、彼らを招いておられました。そのことがだれの目にも明らかになりました。彼らは聖霊の導きによって、より深く聖書を理解し、それまで悟っていなかった重要な真理に気づいたのです。
                                           

数週間前にも初代教会における一致については学びました。この時期は急速に信徒が増えて、そして今までのユダヤ教からキリスト教へと大きな変化がある時期でした。その中で、新しい教会を育てることは大変な事でした。
 今週は教会の教えを一致するために、古い価値観を持っている方々と新しく教会に加わった方々が一致していく歩みについて学びます。そしてその結論をまとめたのがエルサレム会議です。この会議の決定などについては使徒言行録15章とガイドの本文をお読みください。この会議で一致について考える大切なことは、どちらの立場に立って結論を求めるかです。旧来の考えの方々が納得できることを考えれば、異なる結論が出されキリスト教会は世界への宣教が進んだのでしょうか。しかし未来に向けて、これから教会へ加わる方々のことを見据えた結論を出したのです。
 この視点は、今日の教会の一致を考える時の、同じことが言えるのではないでしょうか。なんでも新しい方々の意見を取り入れるようと言っているわけではありませんが、新しい方々は弱い立場にあります。既存の意見にあわせることを求めるのではなく、新しい方々がどうしたら教会生活を喜んで送ることができるのか、この視点で教会の一致を考える時に、よりぬくもりのある結論が導き出せるのではないでしょうか。