第8課 安河内アキラ

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第8課             信仰における一致             11月24日

暗唱聖句
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」 (使徒言行録4:12)
                                           
今週の聖句   使徒言行録4:8~12、使徒言行録1:11、マタイ25:1~13、ヘブライ9:11、12、出エジプト記20:8~11、Ⅰコリント15:51~54
                                           
今週の研究
私たちは今週、私たちをアドベンチストとし、信仰による私たちの一致を形作る聖書の根本的な教えのいくつかに目を向けます。

月曜日:使徒や初期のクリスチャンたちは、キリストの帰還を「祝福に満ちた希望」(テト2:13)と考え、聖書のあらゆる預言や約束が再臨において成就することを期待しました。セブンスデー・アドベンチストは、この確信を今もしっかり持ち続けています。実際、私たちの「アドベンチスト」という名前は、そのことを明快に述べています。キリストを愛するすべての人は、期待しつつ、キリストと直接交わることのできる日を楽しみに待っているのです。その日まで、キリストの再臨の約束は、神の民としての私たちを一致させる影響を及ぼし続けます。

水曜日:セブンスデー・アドベンチストが信じ、掲げているもう一つの重要な聖書の教えが安息日です。これは、私たちの間に一致と交わりをもたらす極めて重要な教理であり、キリスト教界において、ごくわずかな例外を除けば、私たちだけが守っているものです。
 安息日は、創造週から続く、人類への神の賜物です(創2:1~3)。天地創造の際に、神の三つの際立った行動によって安息日は制定されました。それは①休息、②祝福、③聖別です。これら三つの行動が、安息日を神の特別な賜物として創設し、人類は、天の現実を体験し、神の6日間の天地創造を確認できます。有名なラビ、アブラハム・ヨシュア・ヘッシェルは、安息日を「時間の中の宮殿」と呼びました 。神が特別な方法で御自分の民と会われる聖なる日という意味です。

金曜日:私たちセブンスデー・アドベンチストは、ほかのキリスト教諸教派と多くの重要な教理を共有しています。言うまでもなく、その中心的な教理は、イエスの贖いと代理の死を通じての信仰による救いです。私たちは、ほかのクリスチャンたちと同様、私たちの義が私たち自身の行いの中にではなく、キリストの義の中に見いだされると信じています。そのキリストの義は、信仰によって与えられるものであり、身に余る恵みの賜物です。
 それと同時に、全体として見るなら、私たちの一連の「信仰の大要」と、それらの教理から生まれる習慣や生活スタイルが、キリスト教界の中で私たちを独自な存在にしています。また、そうあるべきです。もしそうでないなら、私たちはなぜ―少なくともセブンスデー・アドベンチストとして―存在するのでしょうか。イエスに対する私たちの愛と、私たちが宣べ伝える教えとは、私たちを結びつける最も強力な要素であるべきです。
                                           

まず金曜日の引用文の前半を見てください。わたしたちの教会の、他のプロテスタント教会の重要な教理は共有しています。キリストの贖いを信じて、唯一の救い主と信じること、聖書を神の言葉と信じることなどキリスト教としての根底にあるものは同じように信じています。しかしそれだけだったら、別の教派として歩むことはないのです。
 けれどもわたしたちはセブンスデー・アドベンチストとして、この教会に連なっています。日本では聖書を調べて、正しいと信じてアドベンチストを選んだのではなく、たまたまそのような環境に生まれてきた、出会った教会がアドベンチストだったという方もいるかもしれません。少なくともアドベンチストとして一致するならば安息日と再臨を信じることで一致できるでしょう。
 けれども、その大切な教えの中に、十字架の主イエスを見失わないようにしたいものです。自らの教えの正しさにすがるのではなく、その道を開いてくださったキリストを見上げてください。そこが一致点なのです。