第8課 聴覚しょうがい者用:下村 和美

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第8課             信仰における一致              下村 和美

(ルビ付きの原稿はPDFからご覧ください)

1.安息日午後(11/17)
 過去にセブンスデー・アドベンチストは考え方の違いから、敵対し友情を破壊、教会が一致する使命を損なうことがあった。そこでエレン・G・ホワイトは「自分とイエスの関係について良く考える」ように勧めた上で、私達セブンスデー・アドベンチストとしての根本的な考え方の一致について「イエス・キリスト以外に救うる者はない」という教えを伝える。

2.日曜日(11/18)「イエスによる救い」
 日曜日の学びは、今日のセブンスデー・アドベンチストとして一致する聖書の考え方には、二つの「イエスによる救い」という考えがある。一番目は、ある人が罪を犯してしまい、裁判の結果、死ななければいけなくなった。そこへイエスが来て、その人が死ぬ代わりに自分が十字架で死ぬから「あなたは生きなさい」と言って死んでくれた。その死を代わってもらった人は、このイエスのために心から何かをしたいという気持ちで、神様の計画の働きに自分も参加できている喜びを実感している。二番目は、神様に創造されたばかりの人間は、神様と一緒に暮らしていた。しかし、罪が入って来て神様と人間は一緒に暮らせなくなった。この時から神様と人間との間に誰もわたることができない深い溝ができてしまった。その深い溝の上にイエスは、イエス自身の十字架の死というイエスを信じる誰もが渡れる橋をかけてくださった。この橋だけが唯一、神様の方に人間がわたることが出来る橋となった。こうして神様とイエスによる救いを信じる人間だけがイエスの橋を渡って神様と一緒に暮らすことができるようになった。

3.月曜日(11/19)「キリストの再臨」
 月曜日の学びは、今日のセブンスデー・アドベンチストとして一致する聖書の考え方の「キリストの再臨」について考えてみる。さあ、皆さん目を閉じて生まれたときから今、現在に至るまでの過去の「イエスとの出会い」を思い出してください。「ああ、この両親の間にイエスが生まれさせてくださった。」「小学校に入った時、私は不安だったけどイエスが楽しい友人を与えてくれた。」イエスはいつも私のそばにいてくれたことを思い出した。そのまま目を閉じて、次に、これから起こる未来へ行ってみる。「将来のことは分からず不安な時にイエスが道を開いてくれているのが見える。」「捜していたものをイエスが一緒に捜してくれている」さぁ、目を開けて、現在に戻ってください。そこには天に居られるイエスが再びこの地上に来る時に、今まで心の中で想像していたイエスと現実に顔と顔を合わせて再会できるという神様の約束を信じている人々がいる。私達もその人々と共に、今、天に居られるイエスが再びこの地上に来られる日をワクワクして待っている。

4.火曜日(11/20)「天の聖所におけるイエスの働き」
 火曜日の学びは、今日のセブンスデー・アドベンチストとして一致する聖書の考え方の「天の聖所におけるイエスの働き」について考えてみる。2000年前に天に昇って行かれたイエスはもう一度この地上に戻って来るまでの間、天の聖所で大祭司としての働きをしている。まず、大祭司イエスは1844年10月22日まで、天の聖所で人々が犯した罪を聖所と呼ばれる場所に移していた。この聖所に移された罪によって聖所は汚れてしまったので、汚れた聖所の罪を1844年10月22日にイエスは聖所の奥にある神様がおられる至聖所という場所に移した。この至聖所に移された人々の罪を神様が全て赦して、全ての人が神様の前で正しい人であることを神様が認めてくださるようにイエスは神様に願っている。こうして聖所全体が罪のない場所に清められる時、全宇宙の完全な神様との和解が成立する。

5.水曜日(11/21)「安息日」
 火曜日の学びは、今日のセブンスデー・アドベンチストとして一致する聖書の考え方の「天の聖所におけるイエスの働き」について考水曜日の学びは、今日のセブンスデー・アドベンチストとして一致する聖書の考え方の「安息日」について考えてみる。安息日は大きく二つの意味がある。一つ目は、神様がこの天と地の私達を含む全てのものを6日間で造られ、7日目に人間と交わるために休まれたという「神様の創造の働き」を今の私達が確認できる日として神様が定めてくださった。二つ目は、イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から救い出されたように、私達もこの地上を支配するサタンの奴隷状態から、神様の手によって救い出して下さったことを私達が記念する日と神様が定められた。この安息日はイエスも休息し、礼拝を捧げた日だから、イエスは安息日を廃止されなかった。そして、この罪の世の中で最後に安息日だけが罪を犯し続ける人々に残されている日となることを私達に教えている。

6.木曜日(11/22)「死と復活」
 木曜日の学びは、今日のセブンスデー・アドベンチストとして一致する聖書の考え方の「死と復活」について考えてみる。私達人間は土で造った人間の形をした土の塊に、神様が息を吹き入れられたことによって命を持つ生きた人間となった。だから人間の命は神様が息を入れる時に生きる人間となり、神様が人間から神様の息を引き取るときに死ぬので、神様が私達の命の鍵を握っている。その人間は誰でもいつかは死ぬ。いつまでも生きられるのは神様だけ。ところが、人間となられたイエスは十字架の死の後、復活された。その復活されたイエスを信じる人は、イエスと同じように復活し、永遠の命を与えられることを神様は約束してくれた。だから人間は死んだら土に返り、何も意識のない眠りの状態で墓の中にいるのだから、イエスが再びこの地上に来られる再臨と呼ばれている時が来るまで、人間は心と体を持った命ある存在として復活することはない。だから、新約聖書には死んですぐに天に昇るという考えは全く書かれていない。