第8課 聴覚しょうがい者用:柴田 寛

2018年第3期「使徒言行録ー福音の勝利」

第8課             エルサレム会議              柴田 寛

(ルビ付きの原稿はPDFよりご覧ください)

1.今週のテーマ
 宣教旅行に行っていたパウロとバルナバの報告は驚くべきものでした。福音が異邦人にも広がったというのです。しかしその報告を聞いた一部のエルサレム教会の信者たち(パリサイ派からクリスチャンになった人たち)は喜びませんでした。なぜなら異邦人もみな、ユダヤ人のしるしである「割礼」を受けなければ救われないという、ユダヤ教時代の思い込みを捨てきれずにいたからです。パウロとバルナバはその意見に反対でした。そして、この件についてくわしく話し合うためにエルサレムへ行き、そうして「エルサレム会議」が開かれました。

2.論争点(日)
 決まりを守ることに忠実なユダヤ教徒からクリスチャンになった人たちにとって、「福音」はなかなか理解しにくいものでした。どうしても自分で頑張ってしまう癖がついてしまっていたからです。この「決まりごとをすべて守らなければ救われない」という考えは、現代のアドベンチスト教会の中にも根強く見られます。これら考えかたのちがいが不一致を生み、教会の前進する力を削いでしまいます。初代教会が力強く前進し成長するためにも、この問題を放置しておくことはできませんでした。

3.割礼(月)、論争(火)
 「契約」と「救い」の違いをはっきり理解する必要があります。「割礼」はまことの神を証する民の一員になることであって「救い」の条件ではありません。「割礼」は神の目的のために召し出されたしるしであって、「救い」のしるしではありません。これは「セブンスデー・アドベンチスト教会の一員になった」=「救われる」ということではないのと同じです。「救い」はあくまでも個人個人の信仰の結果です。これらを混同すると、「救われるために○○をしなさい!」となるのです。混同しないように気をつけましょう。
 「救い」に関しては、ユダヤ人と異邦人の間に区別などないことを聖書ははっきり語っています。ペトロが言った次の言葉を心にとめましょう。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒言行録10:34,35)。アーメン!

4.使徒教令(水)〜さらなる研究(金)
 エルサレム会議によって初代教会は、異邦人クリスチャンに対する「割礼」を免除する方向で一応の落ち着きを得ました。そのかわり、シンプルな4つの禁止事項を設けました。これは、慣れ親しんだ異教の習慣ときっぱり決別することを意味していました。その意味するところは、「まことの神を畏れる」ことでした。「割礼」を受けていないことを理由に、「ちょっぴりなら・・・古い習慣に逆戻りしてもいいよね?」と、なあなあにしてしまっていることはないでしょうか?「信仰」することは、「神を畏れる」ことです。これは「割礼」以上に、神を日々近くに感じることです。選民として選ばれたことを「誇り」に思うことは決して悪いことではありませんが、そこに神への畏れがなければ、元も子もありません。