第9課 安河内アキラ

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第9課            最も説得力のある証拠            12月1日

暗唱聖句
「これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである」 (ヨハネ11:51,52)
                                           
今週の聖句   ヨハネ11:51、52、エフェソ2:13~16、Ⅱコリント5:17~21、エフェソ4:25~5:2、ローマ14:1~6、使徒言行録1:14
                                           
今週の研究
 私たちは今週、クリスチャンの日々の生活や教会の使命の中にあらわれている、目に見える教会の一致に焦点を合わせます。イエスによれば、教会は神の救いと和解のメッセージを宣べ伝えるだけではありません。教会の一致そのものが、和解の不可欠なあらわれでもあるのです。罪と反逆に囲まれた世の中で、教会はキリストの救済の働きと救済の力の目に見える証人として存在します。その共通のあかしの中に教会の一致と結束がなければ、十字架の救済の力はこの世で明らかにならないでしょう。「キリストとの一致は、教会員同士の一致の絆きずなを築く。このような一致が、世に対して、キリストの威光、徳、罪を取り除く力の最も説得力のある証拠なのである」(『SDA聖書註解』第5 巻1148 ページ、英文)。

火曜日:イエスの模範に従い、神の恵みの生きた証人になるように招いている聖書の箇所は、ほかにもたくさんあります。私たちは、他者の幸福を追求しなさい(マタ7:12)、互いに重荷を担いなさい(ガラ6:2)、質素に暮らし、外面的な飾りにではなく、内面的な霊性に関心を寄せなさい(マタ16:24~26、Ⅰペト3:3、4)、健康的な生活習慣に従いなさい(Ⅰコリ10:31)とも勧められています。

水曜日:ある日を守ることに関しても、同様のことが言えます。これは週ごとの安息日の順守を指しているのではありません。なぜなら、パウロが定期的に安息日を守っていたことを私たちは知っているからです(使徒13:14、16:13、17:2)。これは、さまざまなユダヤの祝日や断食の日を指しているようです。これらの聖句におけるパウロの意図は、こういった儀式の順守について誠実で良心的な人たちへの寛容を促すことでした。彼らがそれらを救いの手段と考えない限りですが……。クリスチャンの間の一致は、私たちがさまざまな点で必ずしも同意できないとき、とりわけそれらが私たちの信仰にとって本質的なものでないとき、忍耐と寛容さの中にあらわれます。

木曜日:彼らが待っていたとき、互いに対する批判を始めることは容易だったでしょう。ペトロがイエスを知らないと言ったことや(ヨハ18:15~18、25~27)、トマスがイエスの復活を疑ったこと(同20:25)を指摘しようと思えば指摘できました。彼らは、ヨハネとヤコブがイエスの王国で最も高い地位に就きたいと願ったことや(マコ10:35~41)、マタイがもともとは軽蔑すべき徴税人であったこと(マタ9:9)を思い出すこともできました。
 弟子たちの交わりと熱心な祈りが、五旬祭のこの重大な体験に彼らを備えさせました。弟子たちが神に近づき、個人的な意見の違いを脇にやったとき、彼らは、勇敢で大胆なイエスの復活の証人になる準備が聖霊によってできたのです。彼らは、イエスが彼らの多くの欠点を赦ゆるしてくださったことを知っており、そのことが彼らに前進する勇気を与えました。弟子たちは、イエスが彼らの人生において成し遂げてくださったことを知っていました。彼らはイエスの内に見いだされる救いの約束を知っており、それゆえに「信徒の望みはキリストのご品性に似たものとなることであり、神の国を発展させるために働くことであった」(『希望への光』1374ページ、『患難から栄光 へ』上巻4 4ページ)。彼らを通して主が力ある業をなさることができたのも、不思議ではありませんでした。今日、教会としての私たちにとって、それはなんという教訓でしょう。
                                           
 今週は聖書に書かれている一致の実例から教えられています。火曜日の引用文で、一致するために「神の恵みの生きた証人となるように」と勧められています。キリストの証人として、天からの光に心から従うことで、それぞれが一致できるのではないでしょうか。そして天来の光に具体的に従うことは、仕えることを求めています。自己の主張ではなく、だれかの幸せのために生きること、このような生き方が一致へと導いていきます。
 次に水曜日はアドベンチストとして一致するのは、安息日の真理を通してです。ともに安息日に神さまを礼拝するために集まるとき、わたしたちは一致することが出きます。最後に木曜日では一致のために批判をするのではなく、ゆるしあうことが教えられています。だれでも失敗をします。それを批判するのではなく愛によってゆるしあうこと、これが一致への入り口なのです。

 さて、今週の暗唱聖句は気づいていませんでした。この後の53節の「この日からイエスを殺そうと相談した」と十字架への扉が開かれた場面に目が行ってしまい、その前の大祭司カヤパの言葉は見落としていました。50節で、カヤパは「イエスさまの働きが大きくなってローマ帝国からの独立を求めるようになるような動きになってしまわないように、イエスさまには死んでもらうことで治安が安定する」と相談に来た者に語っています。まるでドラマなどで黒幕が、敵対する相手を殺害するように命じる場面のようですね。
 けれどもこれは、イエスが死ぬことによってユダヤの安定だけでなく、すべての人の罪を背負ってくださることによって、天の国におけるほんとうに一致への扉を開くことになることを、大祭司カヤパは知らずに語ることになってしまったとヨハネは記録しています。