第1課 安河内アキラ

2019年第1期「ヨハネの黙示録ーイエス・キリストの働きを知る」

第1課             パトモスからの福音             1月5日

暗唱聖句
 「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである」 黙示録1:3
                                           
今週の聖句   ローマ8:3、ヨハネ1:29、黙示録5:12、ヘブライ7:1~28、ヘブライ9:11~15、レビ記16:13、ヘブライ9:20~23
                                           
今週の研究
黙示録の預言は、御自分の民に対する神の配慮のあらわれです。これらの預言は、この世における命の短さやはかなさ、イエスによる救いと天の大祭司、王としての彼の働き、福音を広めよという召しなどを私たちに指し示します。
聖書の預言は、暗い所に輝くともし火のようなものです(Ⅱペト1:19)。それは、現在の私たちの人生に導きを与え、未来の私たちに希望を与えるように意図されています。キリストがおいでになり、神の永遠の国が設立されるまで、私たちはこの預言の導きを必要とします。

はじめに:今期、私たちはこの書巻の主要な部分と主要なテーマを大まかに見ながら掘り下げて研究します。この書巻の鍵となる主題をよく理解し、この書巻が、イエス・キリストと(御自分の民のための)彼の生涯、死、復活、大祭司としての働きを明らかにしていることを知るためです。
 黙示録は、その言葉を読んだり、聞いたりする者、その中に見いだされる勧告を心に留め、守る者たちを祝福すると約束しています。「黙示録は、その中に含まれている教えを理解するようにという、私たちへの勧告を持って始まっています。

日曜日:黙示録1:1 は、書巻名が「イエス・キリストの黙示」であると述べています。「黙示」に相当するギリシア語は「アポカリプシス」で、「覆いを取ること」「ベールを取り除くこと」を意味します。黙示は、イエス・キリストのベールを取り除くことであり、それは、イエスからのものであるとともに、イエスについてのものです。黙示録は、イエス・キリストを通して神からもたらされましたが(黙22:16 参照)、イエスがその内容の焦点であるとも証言しています。黙示は、御自分の民に対するイエスの自己啓示、彼らに対するイエスの配慮のあらわれです。
 黙示録の主人公はイエスです。この書巻はイエスで始まり(黙1:5 ~8)、イエスで終わっています(黙22:12 ~ 16)。
 さらにまた、黙示録のイエスは、四福音書のイエスでもあります。イエスと、御自分の民のための彼の働きは、まず四福音書で描かれましたが、黙示録はその描写を続けているのです。黙示録は今や、イエスの存在と働きの異なる側面に焦点を合わせています。基本的に黙示録は、四福音書が終わったところ、つまり彼の復活と昇天から始まっています。

月曜日:聖書の預言の主要な目的は、未来がどうなろうとも、神が主導権を握っておられることを、私たちに保証することです。黙示録はまさにそうしています。イエス・キリストがこの世の歴史を通じて、また憂慮すべき終末の諸事件の間も、御自分の民とともにおられる、と保証しています。
 結果として、黙示録の預言には実際的な目的が二つあります。現代をどう生きるか、また未来にどう備えるか、この二つを私たちに教えることです。
                                           

火曜日:それゆえ、黙示録の預言の言葉は、大部分において、文字どおりに解釈してはいけません。原則として、通常、(聖句が意図的に象徴するものを指し示さない限り)聖書を読む場合は、文字どおりに理解することを前提としますが、私たちが黙示録を読むときは、(その聖句が文字どおりの意味を指し示さない限り)象徴的に解釈する必要があります。予見されている場面や出来事それ自体は現実のものですが、それらは、大抵の場合、象徴的な言葉で表現されました。
 多分に象徴的な黙示録の性格を心に留めることによって、私たちは預言的メッセージを曲解することから守られるでしょう。この書巻で用いられている象徴の意味を決定しようとする際に、私たちは 、人間の想像力から出た意味や、それらの象徴の(私たちの文化における)現代的意味を聖句に押しつけないよう、注意しなければなりません。そうではなく、私たちは黙示録の象徴を理解するために、聖書と、そのページの中に見いだされるさまざまな象徴に頼るべきです。
 実際、黙示録の中の象徴の意味を解こうとする際には、それらのほとんどが旧約聖書から引用されたものであることを、私たちは覚えていなければなりません。過去の言葉で未来を描くことによって、神は私たちの心に、未来における神の救済行為が、過去における神の救済行為と非常に似ていることを印象づけたいと願われたのです。過去において神が御自分の民のためになさったことを、神は将来、再び彼らのためになさるでしょう。黙示録の象徴や比喩を解読しようとする際に、私たちは旧約聖書に注意を払うことから始めなければなりません。
                                           

木曜日:黙示録の序章の結論部分は、この書巻全体の真の焦点を指摘しています。イエスが力と栄光のうちに来臨されることです。戻って来るというキリストの約束は、黙示録の結論部分で三度繰り返されています(黙22:7、12、20)。
 黙示録1:7、8 を読んでください。これらの聖句の言い回しは、いくつかの預言に関する聖句(ダニ7:13、14、ゼカ12:10、マタ24:30)に由来しています。黙示録において、キリストの再臨は、歴史が向かう終点です。再臨はこの世の歴史に終わりを告げ、神の永遠の国の始まりになるとともに、あらゆる悪、苦悩、苦痛、死からの解放をもたらします。
                                           

今期は、黙示録を学びます。今回は引用文が少し多いですが、黙示録の学びで何を学ぶのかについて、また何を気をつけて学んだらよいのか、今週の学びの引用文を掲載しました。
 はじめにでは、「勧告を心に留め、守る者たちを祝福」とあります。黙示録から示される、今日のわたしたちへの光を、読むだけでなく実行することが大切なのです。今期も、預言が今のわたしに語られていることを覚えてください。
 日曜日には、黙示録の主人公はイエスさまであること、そして今をいかに生きて、未来に備えるために黙示録が書かれていると月曜日の引用文にはあります。これはどれも重要です。未来の預言だけを見るのではなく、このことを忘れないで学んでください。
 火曜日には預言の解釈について、象徴をそのまま読もうとしないことが書かれています。それぞれの学びの中で、象徴の説明が書かれていると思います。そこをよくお読みになってください。
 そして木曜日には、黙示録に書かれている永遠の希望、再臨について書かれています。この希望の約束に至るまで、いかに生きるのか、今期の学びを深めてください。